勝谷誠彦さんが亡くなったニュースから感じたこと
勝谷誠彦さんが2018年11月28日に57歳で亡くなった。
有名進学校の灘高校、早稲田大学文学部を経て文藝春秋に入社。その後、フリーになりコラムニスト、コメンテーターとして有名な方だった。
昔、よく見ていた「たかじんのそこまで言って委員会」に出演していたこともあり、突然の訃報に驚いた。
私が勝谷さんのTV出演やコラムをみて下記のような印象を抱いていた。
- アイディアマン
- アジテーター
- 文章は抜群にうまい
- ヒステリック
アイディアマン
勝谷さんは有料配信メールをかなり早い段階(2007年)から始めていた。
メルマガはかなり昔からあったが、有料配信がビジネスとして流行したのは堀江貴文(ホリエモン)が始めた2010年からである。
勝谷さんのメルマガは自前で決済サービスも実装していてかなり力が入っている。
(通常、メルマガは「まぐまぐ」などの配信元に30%~50%程度手数料を取られるが、自前で決済サービスを準備すると手数料はクレジットカードの決済手数料の2%~5%程度)
また、番組で共演した話題の人と、あっという間に対談本をだしたりしてました。
本の題名も当時流行ってたマイケル・サンデルをパクッてますw
そして当時問題になっていた田母神さんともこんな本を。
うどんブームがくると「麺通団」といううどん屋を経営しました。
フィリピンに取材で行ったときには、現地の人間とタクシー会社をいっしょにやってたこともあるらしいです。(8:10あたり)
コラムニストをしながらこれだけいろいろなことをし、成功しているのは凄い。
これは彼の出演するTVやコラムをみればわかりますが、たとえば「築地をどり」や「利権談合共産主義」という言葉で煽ったり。
勝谷さん自身は自分のことを「愉快犯」といってます。(3:30あたり)
文章は抜群にうまい
私はそれほど多くのコラムを見たわけではありませんが、こちらの記事にもありますが特に食べ物に関するコラムは抜群にうまかったと思います。
ヒステリック
これはちょっと気に入らないことがあるとかなり口汚く罵ることもありました。
「そこまで言って委員会」の田嶋陽子さんはその犠牲者の代表でしょうw
さて、勝谷さんが亡くなっていろいろな人が追悼のメッセージをだしました。
大学の同級生で作家の小川洋子さん
勝谷さんがコラムを連載していた月刊誌『Meets Regional』の竹村編集長
戦友、戦場カメラマン宮嶋茂樹さん
headlines.yahoo.co.jp元上司の花田紀凱さん
ヨロンさんこと、勝谷さんのメルマガ配信や選挙を支えた世論社の高橋茂さん
勝谷誠彦入退院顛末記……からのブログ再開 - 翁の嗜み(おきなのたしなみ)
勝谷さんと仲の良かった作家の花房観音さん
katsuyamasahiko.jpまた、生前の勝谷さんの本音を引き出している素晴らしい記事もあります。
いろいろな記事を読んで感じたのは、
- 無頼派のようで非常にまじめ
- 粗野な言動でアジテーター、愉快犯を楽しむが、中身は美しい文学にあこがれる繊細さがあった
- 素晴らしい文才を持ち仕事も早いが、文学に対するあこがれが大きすぎて自分が一番好きな小説を書くことに抵抗があった
勝谷さんは愉快犯的なことを楽しむある種の不真面目な面と、愛国精神や地元愛、ジャーナリズムといったまじめな面の間で、そういう自分自身に苦しんでいたのではないだろうか。
いいことをいっても、「あいつはいつも不真面目だから」と評価されないことで、「おれは才能があるのに評価しない周りは馬鹿だ」と孤独だったのかなと感じます。
また、ヒステリックな部分があり、せっかく地元愛から神戸県知事に出馬したのに、落選後に現職知事陣営に対して「保守がいかにクソだが分かりました。今回、大学へ行くよりも、どんな場所よりもいい(人生)勉強になりました。保守! 死ね!」といったりしてあまりに小心過ぎる。
小説が評価されず、選挙に落選してどんどん酒におぼれていったのは、気が小さく周りを許容できない勝谷さんの性格なのかなとも思います。
あれだけのアイディアがあり、文章が書けて仕事も早ければ、引く手あまただったはずなのにもったいない。